Yaroslav Danylchenko/Stocksy
サマリー:データサイエンスとアナリティクスの民主化について議論する際は、どのような場合に行うべきか、その基準を明確にしなければならない。なぜなら、これらの完全な民主化には多くのリスクがつきまとうからだ。そこで本... もっと見る稿では、どのような場合に、どの程度データを民主化すべきかを見分けるための5つの基準を提案する。 閉じる
「どのような場合に」データとアナリティクスを民主化すべきか
ビジネスリーダーがデータアナリティクスへの投資を最大限に活用すべく奮闘しているなか、民主化されたデータサイエンスは申し分のない解決策を提供するように見える。
ノーコードやローコードのツールでアナリティクスのソフトウェアを使うことで、事実上、すべての従業員がデータサイエンスのテクニックを手にすることになる。最善のシナリオでは、それによって、よりよい意思決定が成されるようになり、データ分析の自律性が高まり、セルフサービスが拡大する。特にデータサイエンティストの需要が供給をはるかに上回る現状では好ましいことだ。コストの高いデータサイエンティストを減らして人件費を節約できるだけではなく、特定のビジネスのニーズや文脈に合わせたアナリティクスによる、より拡張性の高いカスタマイズが可能になるだろう。
しかし、データサイエンスとアナリティクスを民主化するかどうか、またどのようにして民主化するかについて議論をする際、重大な論点が見落とされてきた。「どのような場合に」データとアナリティクスを民主化すべきかを定義すること、またそもそもデータサイエンスの民主化とは何を意味するかをもう一度定義し直すことである。
実は、データサイエンスとアナリティクスの完全な民主化には、多くのリスクがつきまとう。Ethical Machines(邦訳『AIの倫理リスクをどうとらえるか』白揚社、
民主化は時間の問題
しかし、そうした懸念があるとはいえ、ソフトウェアやアナリティクスのツールの普及が裏づけるように、データサイエンスの民主化はすでに定着しつつある。「市民データサイエンティスト」の人材開発を提唱したトーマス C. レッドマンとトーマス H. ダベンポートは、どのポジションの採用でも基本的なデータサイエンスのスキルと適性でふるいにかけるべきだとまで主張した。
しかし、データサイエンスの民主化は極端に走るべきではない。誰もがアナリティクスをすぐに使えなくても、組織は成功できる。単に「基本的なデータサイエンスのスキル」に欠けるという理由で、多くの非凡な人材が雇用されなかったらどうだろうか。それは非現実的であり、度の過ぎた制限である。
ビジネスリーダーが組織の中でデータとアナリティクスを民主化しようとする時、本当に問うべきなのは「どのような場合」なら最も理にかなうかということである。
まずは、組織のすべての「市民」が市民データサイエンティストになるだけのスキルを持っているわけではないことを認めよう。データサイエンスと機械学習のツールを企業に提供するドミノ・データ・ラボのCEO兼共同設立者、ニック・エルプリンは最近、筆者にこう話した。「モデリングに取りかかったとたん、さらに複雑な統計的問題が水面下に潜んでいることが往々にして見えてくるのです」
データ民主化の課題
最近、あるスーパーマーケットチェーンが過剰在庫による商品の腐敗や過少在庫による売上げの損失を回避しようとして、適正な規模の需要計画を作成する高度な予測メソッドを利用した。腐敗や欠品による損失は莫大ではなかったが、それを削減するとなると、非常に解決の難しい問題だということがわかった。需要や季節性、消費者の行動など、すべての変数を考慮しなければならないからである。問題が複雑なため、市民データサイエンティストに解決を委ねることはできず、十分に訓練された本物のデータサイエンティストの起用が必要になった。
データ市民には「代表民主制」が必要だと、エルプリンと筆者は話し合った。米国市民が議会で自分たちを代表する政治家(立法事項で自分たちの最善の利益に即して動きそうな人)を選出するように、組織にもデータサイエンティストやアナリストという適切な代表者が必要だ。専門知識のない人では対処できない問題については、こうした代表者に検討させるべきである。
つまり大切なのは、どのような場合に、どの程度データを民主化すべきか見極めることだ。筆者は以下の5つの基準を提案したい。
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