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【浦和】郊外にクリエイティブなコミュニティができる大きな布石「コミューンときわ」 - LIFULL HOME'S(ライフルホームズ)

文教都市・浦和の形成過程

アトリエ村時代を偲ばせる住宅アトリエ村時代を偲ばせる住宅

「鎌倉文士に浦和画家」という言葉が昔あった。戦前、現在のさいたま市浦和区に芸術家達が移住し、その数が40人あまりに増えて、「浦和アトリエ村」と呼ばれるようになっていったというのである。
浦和は本来中山道の宿場町であり、宿場町としては岩槻のほうがずっと栄えていた。1871年に浦和県が岩槻県などと合併したときも岩槻に県庁が置かれる案もあったほどである。

それが廃藩置県により、76年、入間郡と合併して新たに埼玉県となると、浦和が県庁所在地となった。すでに73年には埼玉県師範学校、県立中学、県立医学校ができ、83年に浦和駅ができるなど、順調に発展していく。
96年には浦和尋常中学校(現・県立浦和高校)が開校。98年には埼玉私立教育会が埼玉女学校、現在の浦和第一女子高校を開校、1921年には旧制浦和高校(現・埼玉大学)が開校するなど、文教都市として確立されていったのである。

さらに23年関東大震災があり、都心からの移住者が増えた。上野まで1本で出られる通勤の便のよさもあり、浦和は郊外住宅地としての地位を高め、中等学校進学者数も激増する。女子教育も熱心であり、34年には浦和第二高等女学校(現・浦和西高校)が開校している。

宿場町浦和には富裕な商業者も多かったが、そこに浦和の官庁街や都心勤務のホワイトカラーが加わったことで、幼児教育も盛んとなった。25年には童話作家・長沼新平によって浦和幼稚園、羽鳥近作によって双葉幼稚園が設立された。32年には県立女子師範学校附属幼稚園も開園している。
また1900年には画家・福原霞外が埼玉県師範学校に赴任し、浦和アトリエ村の先鞭を付けた。国道17号線の西側の鹿島台といわれる地域を中心に画家などの芸術家の移住が増えていく。
 
浦和には帝展に出品するエスタブリッシュメントの画家がほとんどだったが、画家になる人間にはやはりどこか反抗的なところがあったようだ。なぜなら明治政府は薩長が支配したので、都心に住んでいた旧幕府側は肩身が狭くなり、薩長が政治、経済を牛耳るのに反抗して、旧幕府の末裔は文化・芸術、あるいはキリスト教、社会主義、ジャーナリズムに向かったのだ。

郊外化することで住民のつながりが希薄に

北浦和の商店街。まだ豆腐屋さんもあり、庶民的でなごむ。北浦和の商店街。まだ豆腐屋さんもあり、庶民的でなごむ。

このように芸術、文化、教育に強い浦和であるが、高度経済成長期以降、「埼玉都民」と言われる東京の会社に通うサラリーマンのベッドタウンとして発展するようになると、画家同士が集まってアトリエ村と呼ばれたような、人間同士の横のつながりは次第に感じられなくなっていった。
実際は今も、芸術、文化、あるいはスポーツなど、様々な分野で人を指導できる人がたくさんいるのだが、戦後社会独特の、個人が自分に閉じた風潮が、それらの人材を開かれた形で活用することがなかなかできない時代になった。

そういうことにつねづね疑問を持っていたのが、JR京浜東北線・北浦和駅近くにコミュニティ・マンション「コミューンときわ」をつくった船本義之さんだ(株式会社エステート常盤代表取締役)。
北浦和駅からコミューンときわまでの商店街は、まだシャッター通りではなく、昔ながらの豆腐屋、酒屋、魚屋、スナックなどが残っており、なかなか良い雰囲気だ。北浦和駅西口は今はマンション街のようになっているが、高度成長期には繊維関係の工場などが多く、庶民的な街だったらしい。

コミュニティ・マンションをつくりたい

船本さん船本さん

船本さんは日本の住宅、特に賃貸住宅のあり方にもずっと疑問を持っていた。
1970年代には日本人は欧米から「ウサギ小屋に住む仕事中毒」と呼ばれ、住宅の貧しさを指摘されていた。その後持ち家はそれなりに質の高いものが供給されるようになったが、賃貸住宅はまだまだだ。
特に生活の質の観点から見ると、賃貸住宅の居住者は部屋にこもるだけで、隣が誰かも知らず、地域とコミュニケーションがない。せっかく地域にいろいろな人的資源があるのに、それを知る機会がない。こうした現状をどうにかしたいと船本さんは考えていた。

そして、JR京浜東北線・北浦和駅西口から徒歩10分ほどの、浦和区常盤10丁目にある埼玉工業株式会社の所有地を借り、コミュニティを生み出す賃貸住宅「コミュニティ・マンション」をつくりたいと考えた。
設計も施工も地元の会社を使おうと考えた。設計会社を選ぶコンペではコミュニティのある賃貸住宅を造りたいと伝え、提案を募った。結果、中庭のある案を提案した大栄建築事務所に設計を依頼した。
だが中庭があるだけでコミュニティが作れるとは思われなかった。そこで、夏水組の坂田夏水さんが主催する「内装の学校」や、株式会社まめくらしの青木純さんが主催する「大家の学校」に通った。

言うまでもなく、青木さんと坂田さんは、「ロイヤルアネックス」「青豆ハウス」などでタッグを組み、「愛ある賃貸住宅」、コミュニティのある賃貸住宅を実現してきた実績がある。
船本さんは最初、坂田さんに相談し、坂田さんはコミュニティをつくりたいなら青木さんが必須だと提案し、青木さんもこのプロジェクトに参画した。

住民が住んでからスムーズにコミュニティが形成されていくためには、建築的にもさまざまな仕掛けが必要だ。単身者だけ、ファミリーだけといった住民構成になるのも避けたい。
そこで間取りはワンルーム(といっても2人でも住める広さの部屋が多い)から2LDKまでとし、1階にはSOHO用の住宅も4戸つくり、店舗も1戸つくった。
SOHO用の住宅は中庭側に居住スペースにつながる普通の玄関があるが、反対側は街路に面しており、透明なガラス窓が開閉でき、ガラス張りのドアもあるというつくりになっている。街路から見ると、働く人の姿が見え、興味が湧けば声をかけるという行動が自然に誘発されるだろう。

交流が自然発生する仕掛け

また2階以上のファミリー向けの部屋は、中庭に面した玄関ドアや窓が鉄線入りガラス張りになっており、窓も開けられるなど、人の気配を感じられるものになっている。玄関ドアを開け放てば、別のフロアの反対側の人同士、子ども同士でも声を掛け合うことができるのだ。
しかも玄関を入るとすぐにダイニングルームがあるなど、開放的である。北側の部屋は玄関のある南側がガラス張りなので光が入り、冬でも暖かそうである。
光と風と人が通り抜けるマンション、という気がした。

店舗にはすでに地域の障がい者支援NPOが経営するクッキー屋さんが入居することが決まっており、健常者だけでなく、障がい者とも共生するコミュニティづくりが目指されている。
中庭に面してはコミューンときわ住民だけでなく地域住民も使うことができるフリースペースがあり、教室、イベントなど、さまざまな使い方をしていく予定である。
また屋上には無料で使える菜園があり、住民が自分の好きな野菜などを育てることができる。

このように最初から「コミュニティ・マンション」というコンセプトを謳っているので、船本さん自身がコミューンときわに込めた思いを入居希望者に話し、それに共感してくれた人に入居してもらうという。
「入居者がこのマンションの中では鍵をかけなくてもいいくらいにしたい。ここが、老若男女、多世代が交流、健常者も障害者も共生する1つの街になって、「里山資本主義」ならぬ「人里資本主義」ができないか。夢を持った人々が巣立つ巣(ネスト)のようにして、将来的には浦和に地場産業として文化的な産業が育つようにしたい」と船本さんは希望を述べる。

芝生のある中庭を囲むロの字型のつくり。中庭側に面してガラス張りの玄関もある。芝生のある中庭を囲むロの字型のつくり。中庭側に面してガラス張りの玄関もある。

意欲的な住民たち

直井さん直井さん

住民募集は始まったばかりだが、すでに北浦和でBEER Hunting Urawa、浦和でBeernova Urawaとクラフトビールの店を2軒経営している小林 健太さんも家族で入居することが決まった。小林さんは2月2日の内覧会でも自分でつくったクラフトビールで来場者をもてなした。

SOHOも入居者が決まり始めているが、うち1戸は2月2日時点ですでに入居済みであった。
入居したのはデザイナーの直井薫子さん。東浦和出身で、美大を出たあと、東京に住んで東京のデザイン会社に勤務していたが、さいたま市の広報誌の編集・デザインをコンペで勝ち取り、ちょうど昨年からフリーになって浦和に戻った2019年に、その仕事を会社から引き継いだ。とても行政の広報誌とは思えない素敵なデザインであり、これなら市民もよろこんで広報誌を読むだろう。

直井さんは「住み開き」に関心があり、仕事場でもあり住居でもあり、かつ外に開かれた場所をさいたま市内に探していた。たまたま、さいたま市の公民連携担当者からコミューンときわというものがつくられようとしていると聞き、SOHOの住民になりたいと申し込んだのだ。さいたま市ではアートなどのイベントも最近盛んであり、それらを通じて地域の横のつながりも生まれているようである。そういうつながりがあったからこそ、実にタイミング良くコミューンときわに入居できたのだ。
直井さんはここで今後、本や言葉についてのイベントを開催したいと言う。明るく元気な直井さんなら、本や言葉のイベントに限らず、コミューンときわのさまざまな活動の中心になるだろう。
「浦和画家」や「浦和アトリエ村」に代わるような新しい文化がコミューンときわから生まれるかもしれない。

私は郊外研究をずっと続けてきた人間として、これからの郊外に必要なコンセプトは「クリエイティブ・サバーブ」であると最近考えるに至った。タワーマンションに住んで大規模ショッピングモールで買い物をしているだけの消費型の生活ではなく、下町的な暮らしの良さも取り入れ、住み、働き、交流し、刺激しあい、新たな生活をデザインし、生み出していく、そういう暮らしができる郊外が「クリエイティブ・サバーブ」のイメージである。コミューンときわはまさにその「クリエイティブ・サバーブ」誕生の先駆けに思えた。

参考文献
三浦展『東京田園モダン』『首都圏大予測〜これから成長するのはクリエイティブ・サバーブだ!』

2020年 02月23日 11時00分

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February 23, 2020 at 09:00AM
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